20080331

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進路。

誰もが人生の分かれ道に立つものです。
卒業と共にそれぞれ自分の目標に向かって進むものですが私の場合はというと・・・・。
うまく決められませんでした。

トラックドライバー  →  体が弱いので無理。
カメラマン  →  レベル的に無理。
適当に就職して考える  →  目標ない~。
プー  →  親に迷惑はかけられん。
大学進学してみる  →  頭悪いので無理。
自営業  →  スキルなし。

うーんどれも無理ですね~。
最初から”無理”といっていたら絶対目標の自分にはなりませんよね。
でも当時の自分には「コレだ!」決めるだけの度胸がありませんでした。
だからこの中で一番考える時間を得られる方法を選択しました。
それが”大学進学”。

高校3年生の秋、偏差値30そこそこの私がどこまでやれるか挑戦が始まる。
ちなみに国語30、数学41、理科38、社会33、英語30。
どないせいっちゅうねん!!!

ちなみに三重近郊の大学の偏差値は50~
理系だとどんなに人気の無い大学でも55以上
今とは比べ物になりません。
当時は最も受験生が多い時期でしたから。
なんかものすごいものに挑戦している感じ。

20080330

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高校時代に行った撮影会は合計8回。
今ですと年間に行く回数です。

当時は貧乏学生だったので電車で日帰りできる範囲のみ。
それでも東海地方にはまだ撮影会場が残っていました。

四日市競輪駐車場
大垣競輪駐車場
鈴鹿川河川敷
櫛田川河川敷
上野市営グラウンド
中部台公園駐車場
宮川河川敷
木曽川河川敷広場

残念ながら今は全て使用することが出来ません。
先程、高校3年間で参加した撮影会が8回といいましたがその中でナイトシーンの時間帯まで居ることが出来たのが5回。
あとの3回は何らかの理由で途中帰宅しました。

さて3年間で8回というとかなり少ない方。
ナイトシーンを撮影するチャンスとしてもかなり限られてきます。
デコトラのナイトシーンと花火の共通点を見つけたのが本当に最後の最後。
高校3年生の夏のことでした。

その共通点を実践できたのも最後の1回のみ。
11月に行われた勢州船団の撮影会でのこと。
その時の機材はニコンのFEにMF35-70mm、メーカー不明の小型三脚。
まあ部活動の集大成になったわけですね。
(そのわりには貧弱な機材構成ですが・・・)

この日もいろいろな理由で午後4時ごろからの参加でした。
高校3年生の秋ですからね。
進路とかいろいろありましたから。
この時期で午後4時というと日も随分傾いています。
すぐにでもナイトシーンが始まりそうな時間帯。

撮影会場に着くと三脚を伸ばしカメラをセット。
いつでも撮れる状態。
この頃は今と違ってナイトシーンまで残っている人が少なかったように思えます。
今はほんとに人が多くて大変ですよね。
ですから良い場所から楽々と撮れた良い時代でした。
その時の撮影データが絞りf8で1~2秒。
1時間ほどで36枚撮りフィルムをとり終えるとそのまま帰宅しました。

多分今まで参加した撮影会の中で最も短時間で最も記憶に残る撮影会。
この日に撮った写真は自分の頭で描いていたナイトシーンそのもの。
初めてナイトシーンを「撮った」に変わった瞬間でした。

20080329

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褒められると伸びる男SEKIです。





それはさておき入選をきっかけに写真の魅力にはまった私は部室にある○サヒカメラを熟読。
ご存知の方も居るかもしれませんが○サヒカメラといえば写真の世界ではかなり硬派な写真雑誌。
書いてあることもかなり難しい。
写真に対するコメントも辛口。
新製品の分析も書いてあるのですが難しくて分らん。

まあ今見ても難しいんですが、当時はその内容を何とか自分のモノにしようとしていました。
分らんなりに・・・・。
どうなんでしょうね?
その時の知識が生きているのでしょうか?
いろいろ吸収したつもりですが、今でもそれなりの写真しか撮れません。
ただ一番の発見は花火の撮影データがデコトラのナイトシーンに応用できるということ。

絞り込んでのスローシャッター。
今となっては当たり前のことですがカメラボディ内の露出計を当てにして撮っていてはこの撮影方法にたどり着くことはありません。
写真部に入って一番変化したのはここかな?
”撮れた”から”撮った”への脱皮でした。

20080328

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写真部に入部して写真が上達したかというとそうでもありません。
いろいろ撮りましたがどれも今ひとつ。
でも一つだけ良かったのはアナログからカメラを始めたこと。
今のようにデジタルカメラなんてありませんから。
ある意味不幸ですよね。
デジタルから始めると写真が全く上達せん。
へたくそな写真を撮りながらもちょっとずつ納得するものに近づいていったのは確か。
四ツ切サイズに引き伸ばしてもシャープな画を撮れるようにはなりましたよ。
転機が訪れたのは入部して1年後ぐらい。
友人の家に子猫が生まれたということでそれを毎週のように撮影していました。
難しいんですよ動き回るし親猫に怒られるし・・・・。
(HPの頭に居る猫がこの時の親猫です)
可愛いからハマりました。
何本撮ったか覚えていません。
このとき居た子猫が4匹かな。
少しずつもらわれて行って最後に1匹だけ残ったんだ。
家で飼いたかったけど親がダメで結局その友人の家にずっと居たなぁ~。
一通り居なくなったらまた4匹生まれた。
オイオイ!
仕方ねえなあ~撮ってやるか。
今度は3日に一度ぐらい通った。
このとき使っていたのはニコンのFE。
今でもたまに使いたくなるいいカメラだよ。
MF35-70mmのズームで撮りまくった。
そのおかげか猫の写真で写真展に入選しちゃったよ。
まあ数打ちゃ当たるっていう感じでした。
これが写真人生で最初にもらった賞だった。

20080326

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写真部に入ったものの写真の腕がすぐに上達するわけではありません。
何しろ彼らの話す言葉がチンプンカンプン・・・・・・。
それらを理解するところから挑戦は始まる。
これには時間がかかったな~。
でもいい勉強になった。

トラックをきれいに撮りたいと思っている人はぜひ挑戦してください。
食わず嫌いのところもありますから。
もう一つ良かったのはアナログ全盛期にプリントがタダだったということ。
年間の部費が500円。
それでデコトラの写真焼き放題。
学校から予算が出ている”部活”であることの利点でしょう。
但し、白黒ですけどね。

授業が終わると毎日のように写真部に顔を出し。
彼らの難しい話を聞く。
それでもってネガをプリントを数枚する。
これの繰り返しでしたよ。

持っていたネガは全てカラーネガだったのでシャープさに欠けていました。
2Lぐらいに引き伸ばすと分るんですよね。
カラーネガの粒子感が・・・・。
その点白黒用フィルムはシャープでした。
特にTRY-Xはお気に入りでした。
ASA400でも結構使える。

このフィルムは何度か撮影会にも持ち込みましたよ。
でもね・・・・・残念ながらどんなに色鮮やかなペイントも白黒になっちゃうんですよ。

20080325

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あの時、早めに帰宅してデコトラのナイトシーンと出会わなかったら今の自分は居ないでしょう。
ある意味運命的な出会いです。
なんとしてもデコトラのナイトシーンを写真で再現してみたい。
そう思いながらも何が足りないのかが分らないのでどうしようもありません。

さて身近なところに写真に詳しい(素人にも優しく教えてくれそうな)人が居ないといっていましたが、”灯台下暗し””傍目八目”とはこのことでしょう。

高校の写真部。
やつらはオタ臭を漂わせ近寄りがたい存在でもありますが、その写真に対する情熱と知識はやはりホンモノ。
だてに酸っぱい臭いしていませんよ。

人それぞれ感じ方は違うかもしれませんが当時の私には彼らの知識は雲の上の存在。
まさに写真撮影の神であった。
○サヒカメラの写真を見てコレはどう撮ったとか。 あーだとかこーだとか。
オイオイちょっとは素人にも分る話をしやがれ!などと思いながらも彼らの知識を吸収することにした。

20080324

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次の日には写真が出来上がってきましたよ。

うひゃーーーブレてる!。
親から一眼レフカメラを借りた時に教わったのは露出計の見方、ピントの合わせ方、フィルムの巻き方、そして1/60秒以上のシャッター速度の確保でした。

二代目白龍王を撮ったのは夕方なので1/60を切ってしまったのです。
フジのカメラに付いていたのは50mm f2というレンズ。
短焦点標準レンズにしては少し暗めです。
1/焦点距離>シャッター速度で手ブレ発生なんですが当時は全く知りませんでした。
分ったのは1/30、1/15秒以下はブレるということ。

唯一ブレがあまり目立たなかったのは最初に撮った1枚。
1/30秒なので運良くブレていませんでした。
まあマグレです。
今でも気を抜くと手ブレ写真は連発しますからこの辺りは当時とあんまり変わっていません。

で・・・・出来上がってきた6枚を見て思ったのは「実物は比べ物にならない」ということです。
逆に言うと「何でうまく撮れないかな~」という疑問。
自身の性格は気まぐれそのもの。
興味のあることはとことん突き詰めますが興味の無いことはたとえそれが大多数であっても全く勉強しません。

しかし、身近に”写真が趣味”という人が居ませんでしたので困ってしまいました。
本屋で写真の雑誌を立ち読みしてもサッパリ。
EV? TTL?
何のことやら?
あまりにも縁遠い写真の世界に呆然。
当時は素人向けの写真雑誌があまり出回っていませんでしたよ。
特にウチは田舎ですから。

20080323

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2回目の撮影会も”それとなーく”終わりデコトラに対する考え方が変わったのが高校生になってから。

1990年10月7日 松阪市で行われた勢州船団の撮影会の時のことでした。
撮影会場は櫛田橋の下というかその近く。
どちらかというとローカルな撮影会だったので参加台数は100台ちょっと。
会場には昼ごろに到着し撮影。
そのとき持って行ったのがフジの一眼レフかな?
親のなので機種名は忘れました。
50mmの短焦点レンズが付いていたことを覚えています。

撮影会に行ったことがある人は分ると思いますが50mmってなかなか使いづらいんですよね。
トラックの大きさに対して駐車してある間隔が狭い。
どうしてもはみ出してしまうんですよ。
広角レンズがあるなんて知らなかった。

一通り撮影し夕方になったのでいつも通り帰ろうとすると。
一斉のラッパコール。
全く意味が分らなかったのですが橋の上を見ると派手な10tダンプが走って来ました。
10tダンプのフルアート。
当時はなかなかそこまでしている車は少なかった。
ラッセル戻しのバンパーに船形バイザー、アオリ改造に虎と龍のペイント。
これぞデコトラ!と言わんばかりの派手さ。

二代目白龍王と書かれたそのダンプはゆっくりと撮影会場に入場しそのまま端の方の広場へ・・・・。
雑誌の撮影が始まるとともに電飾を点灯。
アンドンが次々に点灯し、イエローのマーカーランプが一斉にリレーし出す。
その瞬間ですよ。
「コレだー!」って思いました。
なんか分らなかったけど自身の中ではかなり衝撃的な光景でしたよ。

ちょうど夕焼けで逆光になっていましたのでシチュエーションとしては最高。
同時はそんなことを知るよしもありませんでした。
偶然にもフィルムが3コマほど余っている。
シャンスは3回。
落ち着いて撮らねば。
この光景をずっと残すために。
でもなかなか落ち着いて撮れなかった。
興奮していましたから・・・・。

しかし、このときは知らなかったのです。
24枚撮りフィルムで26~27枚とることが出来ることを。
3枚を撮影した後、フィルムを巻き上げようとすると・・・・アレ?まだ動く・・・・そして撮れる。
得した気分であと3枚撮影しました。

快晴の一日。
最高の気分で電車に乗り、そして帰りの途中で写真屋にフィルムを預けて帰りました。
さて、どんな写真が仕上がってくるのでしょう。

20080322

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初めての撮影会。
全く勝手が分りません。
入場料いるんかな?なんて思いながらウロウロしていました。
当時自宅にあったのはフジの一眼レフとコダックのバカチョン。
小学生なので重い一眼レフはちょっと・・・・。
だからコダックのカメラで撮りました。
フィルム入れるのも無理。
最低限の撮り方を教えてもらい。
バンバン撮っていたらあっという間に1本終了。
会場には2時間ほどいましたかね。
昼過ぎに行って夕方には帰りました。
当然ナイトシーンは見ていません。
夕方に帰らなければならなかったのは塾があったから。
ちなみにこの塾には引き続き中学3年間もお世話になったので日曜日の夕方はずーっと捕まっていました。
だからナイトシーンは見たことが無い子供だったのです。
次の撮影会は2年後。
四日市競輪場の駐車場で行われましたがこの時もナイトシーン見ず。
ちなみにこの時に来ていたのは以下のとおり
舞姫丸、夢千代丸、二代目日光丸、玉次郎丸、二代目隼人丸、北龍丸・・・・・。
他にもいろいろいましたがもう覚えていません。
二代目日光丸の存在感は凄かったですね。
でもまあそんな程度。
無理してでも撮影会に行くようになるのはもう少し先。
高校生になってからです。

20080321

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撮影会当日。

本当に居るのか?
デコトラ。
走っている姿は今まで見たことが無い。
カミオンには「名古屋から大阪まで生鮮を運ぶ~」とか書いてあるけど、1号線見ていてもそんなの全く無いし。
まさかデマ?

期待半分、不安半分で鈴鹿まで親に乗せていってもらった。
1号線を北へ・・・そして庄野橋を渡り鈴鹿高校の交差点を左折。
ずーっと真っ直ぐ進むと開け行く土手にズラーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッとデコトラ。
こんなにおるんか?!!

本当に「なんじゃこりゃ!!」って感じですよ。
本当に河川敷一帯にデコトラ。
それを土手の上から眺める。
サイコーです。

早速、土手を降りデコトラ集団の元へ。
なんか尖っていますよ。
出っ張っていますよ。
輝いていますよ。

で、・・・・撮影会場をウロウロしているとどこかで見たことあるトラック。
個性的なサイドバンパー。
「駿河の歌麿」
カミオンで見たよコレ!

他にも「重香丸」「弁天丸」「二代目弘宝丸」「鬼若丸」「北龍丸」「千鶴丸」・・・・・。
うおぉぉぉーーーーー数え切れん!

4月上旬にしてはかなり暑かったあの日。
ホンモノのデコトラに触れた。

20080320

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さてそろそろ実車へのプロセスを話しましょう。
発端は同級生が学校に持ってきていたデコトラ雑誌のカミオン。
デコトラ雑誌創成期。
他にもあったと思うけど今でも残っているのはこの雑誌だけかな。

このカミオンという雑誌に興味を持って買ったのが2ヵ月後ぐらい。
(遅!!)
ご存知のとおりこの手の雑誌はカラーページと白黒のページに分かれています。
コスト面を考えますとどうしてもこういう構成となるのです。

昔から語学が苦手な私は本を読むのもキライ。
書くのも苦手。
読書感想文とか苦手だったな~。
ですからカラーページに比べて字が多い白黒ページはあまり興味を持たない部分でもありました。
もったいないと思うのですが今でもあまり読みません。

白黒のページって写真より情報のページなんですよね。
そこには「撮影会情報」も載っているんですよ。
「撮影会」という名の集会があるという存在すら知らなかったので、注意して見ることはありません。

たまたまなんですよ。
本当に偶然。
ペラッと開いた白黒のページに見慣れた地図が・・・・・。
これって鈴鹿市?
国道一号線と鈴鹿川。
その対面にある三角地帯。

「勢州船団チャリティ撮影会」と書いてありました。
開催日は4月3日って・・・・今度の日曜日?!
かくして初イベントに参加するはこびとなったわけです。

20080319

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デコトラのプラモデルを下手なりに完成させたのですが夢は膨らむものの後が続きません。
何せ昔の小学生ですから。
今の小学生と違いますよ。
小遣い少ないので次々買える訳ではありません。

でもそれなりに作りましたよ。
「御曹司」、「闘将丸」、「花魁」、「夜叉姫」、「魔王」、「一番星」
うーん両手で事足りてしまいますね。
まあ途中で写真の世界にどっぷりと浸かってしまいましたから高校生になってからは作っていません。
ちなみに最後の「一番星」は1/20のやつ。
迫力はあるのですがディティールはかなり雑。
箱のマーカーも水平方向と垂直方向で違うしテールもなんか違う。
まあ当時のデコトラプラモデルってこんなもんですよ。

で、いろいろと創造できるのがデコトラプラモデルの楽しいところ。
魔王は麦球と乾電池入れて光るデコトラ。
御曹司は後輪2軸改造&キャビンハイルーフ改造&荷台1.5台分で超ロングシャーシ化。
夜叉姫はM60A3の砲身を付けてバトルトラック・・・・。

ところで御曹司を改造した時の1.5台分の荷台はどこに有ったんでしょうね?
ラインナップ見ると平ボディーは1台のみ。
あと0.5台分の荷台はどこから?
まだ隠れラインナップがあるようです。
(誰かにもらったのかな?)

20080318

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このあたりでアオシマのプラモデルにもお世話になります。
その前からプラモデルを作るのは好きだったんですが基本は乗用車と戦闘機。
特にレシプロは好きでしたね。

一般的な小学生だったので、当然仕事は雑。
色なんて塗りませんでしたからね。

で、最初に作ったのは1/32の飛車角。
初代のやつです。
箱を空けた瞬間そこには別世界が・・・・・。
メッキパーツがキラキラ。
マーカー類のクリア部品もカラフル。
本当にドキドキしましたよ。

プラモデルには説明書が付いているのですが本体だけ組み立ててしまえば後は好きなように飾り付け出来ますよね。
でもそんな頭は無かったのでバカ正直に説明書どおりに組み立てました。
すると輝くメッキパーツとマーカー類が多量に余る・・・・・。
これはどういうことなのか?
それまで一般的な(?)プラモデルしか作ったことが無かった私には理解が出来ませんでした。

あとで分ったことは、デコトラのプラモデルは同じ金型でいくつかのバリエーションを用意するのでパーツが沢山余るということです。

余ったパーツはどうしたか。
そりゃ付けるしかないでしょ。
まだスペースがあるし。

かくして、走行不可能な超ゴテゴテデコトラが完成したのであった。

20080317

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さて実物のデコトラに出会うのはもう少し先です。
その間に何があるかというとデコチャリ。

自転車にいろいろくっ付けるヤツです。
最近のデコチャリはかなり進化していますよね。
当時はマーカー付ける程度でした。

「トラック野郎」の第10作を見た直後のことですが、どういうわけか同級生の間でデコチャリが流行りました。
自転車にL型アングルやCチャンを取り付けてそれにマーカーランプを取り付けるというものです。
基本的にほとんど自転車のダイナモで動かしていましたが、数が増えるにつれ電力不足に陥りバイク用の6Vバッテリーを積みだしました。
バッテリー化する事でマーカーの数は増えましたが、当時はリレー機というものがあまり普及しておらず高価だった為付けている人はいませんでした。

また、当時の自転車は変速機が何段付いているかというところがアピールポイントでありどちらかというとスピード重視のものが多かったのです。
当然この手の自転車は安定性に欠き、デコチャリには向きません。
なお小学生でママチャリに乗っている人はいませんでした。

マーカーをつけたら次はホーンということで車のクラクションから始まり終いにはスーパービックホーン。
当然、電磁弁式なのでバッテリーは12Vへ・・・・。
この時点でかなり重く、危険な乗り物に変身していました。

自分はというとそこまでする余裕はなかったのでダイナモで動かすマーカー4個ぐらい。
一度、車用のフォグランプを付けてみましたが重くて断念。
まあ小学生ですからね。
それを考えると今のデコチャリってかなりマッスルな乗り物でしょう。

デコチャリの流行は1年ぐらい続いたと思います。
なんで無くなったかというと騒音問題。
そりゃ自転車でラッパコールしたら大変でしょう。
道路交通法にもクラクションは危険を回避するために鳴らすものなんて書かれていますから。

学校に苦情が殺到しめでたく(?)デコチャリブームは終わったのでした。

20080316

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映画「トラック野郎」を見てその世界にはまってしまいました。
で、何をしたかというと何もしません。
だって小学生だから金もないし頭もない。
時間だけはあったから絵とかは描いたかな?
絵心はありませんが好きなものは好きなものでそれなりに描けるものです。

「トラック野郎」が1本じゃなくて10作も有ったなんて気が付いたのはその半年後ぐらい。
新聞のテレビ覧で深夜に放送しているのを見つけて親戚にビデオを撮ってもらったのを覚えています。
当時あった自宅のビデオデッキは録画予約機能なんて付いていません。
もちろんソニーのベータ。
この後ベータが収束していくなんて思いもしませんでしたよ。

親戚に録画してもらった「トラック野郎」を見てビックリです。
「この前のと違う!」
半年経って記憶が薄れかかっていたのですがそれでも断片的には覚えているものです。
「いのくまだナントカカントカが出てこん!」って。
全作を記憶しているようなマニアな方ならこの意味分っていただけます?

あとになって分ったのですがこのとき見たのは5作。
ビデオなので擦り切れるほど見ました。
親には呆れられるし・・・・ついにはビデオデッキが壊れる始末。
時代はベータ収束時期。
1回は修理したものの再び調子が悪くなったので、買い替えに至ってしまいました。

新しいビデオデッキはVHS。
ベータのテープは入りません。
ビデオというものがダビングできるものとは当時の頭では考えもしませんでしたので、「第5作」は闇に葬られたのでありました。

偶然は重なるもので、「第5作」を諦めた直後に再び深夜のテレビ放映。
今度は第10作。
でも深夜なので小学生は寝ている時間です。
しかしVHSのビデオデッキには予約機能が付いていたので助かりました。
早速録画予約。
次の日、学校から帰って見ると・・・・・龍馬号が・・・・。
そのビデオもやはり擦り切れるほど見ました。

この時期に見た「トラック野郎」2作品が今でもずっと生きています。
でも細かい部分はだいぶ忘れちゃったけどね。

20080315

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人生の中で偶然が重なる瞬間があります。
私がデコトラと出会ったのはまさに”偶然”が重なった瞬間でもありました。
当時小学生だった私は町内会かなにかのスキーに行った帰りのバスの中で、その映画は流れていたのです。
「トラック野郎」
ギンギラに飾ったトラックと意気で男くさい世界。
菅原文太と愛川欽也の凸凹(?)コンビ。
食堂に集まるトラックは皆デコトラ。
なんかすげ~。

確か梅宮辰夫が出ていたので3作でしょうか・・・・・。

今考えると町内会のスキーバスで何で「トラック野郎」?
不思議でなりませんがこれが「デコトラ」という存在との出会いです。
それまでそんな世界があるなんて知りませんでしたからね。
時代は第二次デコトラブームの幕開けぐらい。

20080313

のどカラカラ

やってきましたこの季節。
花粉との戦いです。
仕事していても水鼻がタラーッ。
突然きますからね。
昨日までどうもなかったのに今日はズルズル。

これから5月ぐらいまでが辛いです。
薬飲んだら眠~くなるし。
鼻のかみ過ぎでヒリヒリするし。
集中力ありませーーーーーーーん。
何とかしてーーーーーー。

春先に参加するイベントはボーっとしていますんで迷作が生まれます。

さて・・・・・・。
今年はどんな迷作に巡り会えるでしょう?

20080307

既に予約している人も居るわけでして


今月末に発売される海外向けアートトラック写真集「The Art Truck of JAPAN」ですが、既に予約をしていただいている人もみえます。
個人的にはあんまり焦らない方が良いような気も・・・・。
中身を見ないまま買うのが”通販”の楽しいところ&怖いところ。
工業製品なら機能、性能やデザイン、使い勝手などが同じ製品で同じ品質を得られますが、写真集はそうもいきません。
中身見ないと怖いですよね。
そこで今年の撮影会にはこの写真集を持参します。
今は自分自信の分しかありませんので、それを見て欲しいと思った方はAmazonへ行って好きなだけ買ってください。
余談ですが現在、円高の影響で(?)多少安くなっているみたいです。

20080303

一海丸とスライド

帰宅時に田舎道を走っているとどこかで見たシルエットが・・・・・。
第一一海丸。
フロントバンパーはありませんでしたが走る要塞ぶりは健在です。
夜道でのスライド。
一瞬で判断できたのはサイドに描かれたゴジラの絵と個性的なサイドバンパーのライン。
電飾つけていなくても一発で分ります。
それにしても第伍、第六に比べて極端に少ない第一一海丸の写真。
第四も少ないですよね。
この2台はあんまりイベントには参加していなかったみたいですので・・・・。

写真は4年前の姿。